少数意見を聞きすぎる危うさは、多数意見が通りにくくなること

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こんにちは、ENGかぴです。

少し前の話ですが、年末の風物詩ともいえる除夜の鐘がうるさいという苦情により中止になったというニュースがありました。多数の人が肯良いと考えているのに対して、少数意見を聞きすぎる危うさについて綴ってみたいと思います。

最近の情勢を見てみると少数意見側のほうが理屈が通っており多数派とされている側が根拠もなく従っているような風潮がみられるため難しい問題だと感じております。

多数派の意見が危険に変わる可能性と少数派の意見の重要性

多数派の意見が危険な状態となる可能性について考えたことをまとめています。興味があればご覧ください。

除夜の鐘が中止(多くは肯定的では?)

年末の風物詩である除夜の鐘が近隣住民の苦情により中止になったという記事を見たとき非常に残念な気持ちになりました。中止を決定しなければならない背景には寺院を管理する住職の高齢化が原因の一つであるとも言えますが、中止に至った原因の多くは一部住民のクレームからだといいます。

除夜の鐘は寺院の一大イベントでもあり毎年約200名が訪れて鐘の音を聞きながら思い思いに一年を振り返りながら過ごしたり年越しを友人や家族と初詣を兼ねて楽しむイベントでもあり楽しみにしていた方にとってはいい迷惑だと思います。

寺院側はクレームから中止せざる得なくなっています。クレームがあったとしても強硬したらよいという意見もありますが、強行した場合クレームがエスカレートして対応が面倒であることから中止を選択する寺院が多くなっているようです。

寺院の近くに住んでいるのだから鐘の音が鳴ることくらいは分かると思います。しかも、除夜の鐘は一年に一回です。心の貧しいクレーマーによって中止に追い込まれる世の中になってきたと思うと残念な気持ちになります。

鐘を鳴らす文化のない外国人がいきなりの鐘の音にビックリしてうるさいと感じてクレームする例もあるようです。この場合は日本の文化であることを伝えてクレームに対して反応する必要はないと思います。

他の例でいうと、小学校や幼稚園の近くに住んでいる住民から子供の声がうるさいなどと言うクレーマーもいるくらいです。

大多数が楽しみにしているイベントも一部の少数派であるクレーマーの意見が採用されてイベントが中止になってしまうことが続きそうで、除夜の鐘に限らず夏の風物詩の花火大会も中止とエスカレートしてきそうです。

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少数意見を聞きすぎる危うさ

少数意見を聞いて参考にすることは良いことだと思います。しかし、少数意見を聞きすぎることによって多数派の意見が通りにくくなってはいけないと思います。

クラスに30人の生徒がいたとして多数決を取ったとします。必ずと言っていいほど1名か2名は変な理屈をこねて反対する人がいたと思います。

反対を表明している生徒の意見を聞きはしますが聞いたうえでも多数の人が賛成した意見が採用されます。反対を表明した生徒の意見が素晴らしかった場合は再度多数決のやり直しになることはありますが、基本的には多数の意見が採用されます。

賛成と反対がほぼ半数でわかれている場合は、少数意見であるとは言えないので慎重に話し合うことが必要だと思います。

話し合ったうえで最終決定した事であれば反対の意見を持っていたとしても従わなければならないことは子供でも分かっていることだと思います。

少数意見を聞きすぎることによる弊害は

  1. 多数派の意見が通りにくくなる
  2. 決定に時間を要する

ことになります。少数の意見を聞くということは多数派の意見が通りにくくなることでもあります。少数の意見を聞きすぎると決定までに落としどころを見つけなければならないため決定に時間を要することも弊害であると言えます。

仕事でプロジェクトを組んでいたとしましょう。自分の意見が少数派であったとしたとき不満があるからと仕事をしないという選択をするでしょうか?

余程自分に自信がありフリーランスで食べていけるので問題ないという人もいると思いますが、基本的にはプロジェクトの方針に沿えるように仕事を進めていくと思います。

次に、あなたがプロジェクトリーダーだったとしましょう。プロジェクトを進めるにあたって物事を判断しなければならなくなった時、よほどのことがない限りプロジェクトが円滑に進められるように多数の意見を採用すると思います。

時には、少数意見を切り捨てるくらいの覚悟は必要だと思います。

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民主主義は基本的に多数決では?

日本は民主主義を採用している国であり選挙によって多数に指示された政党が国をよくするために法案を考えて議論する権利を担っています。(ただ議席が欲しいだけで国を良くしようとおもっていないような議員が多い気もしますが・・)

国会の質疑の時間配分がどのように割り振られているかご存じでしょうか?

基本的には議席数によって決まるようですが、衆院予算委員会においては与党:野党=2:8になっています。 最近では与党:野党=3:7になったようですが、多数の国民から支持されている与党側の質疑の時間が短く野党の時間がおおく配分されていることは少数の意見を聞きすぎている例と言えます。

野党の質疑が政策にかかわる重要な質疑であれば少数の意見を聞くことも大切だと胸を張って言えますが、今の野党はどうでしょう・・・。除夜の鐘にクレームをつけているのと同じ程度かそれ以下の価値のない時間を使っていると思います。

数年前のモリカケ問題しかり桜を見る会(野党にとってはシュレッダーを見る会)のように冤罪で証拠も出ないことに時間を使いすぎて本来議論すべき予算案やその他の法案について全く議論できないことになっています。追及することは悪くはないのですが、時間を使いすぎです。

同調圧力によって意見を言えないことがあるので少数意見を尊重したいという心意気は大事だと思う一方で、国会での時間配分が多いことを利用してただの揚げ足取りのみに終始している野党を見ていると少数意見を聞きすぎることは危険であると言わざるを得ません。

メディアと野党が結託して証拠も乏しいのに時の政権叩きに大切な時間を奪われ憲法改正や自衛隊の中東への派遣の問題についてまったく議論されないのは国益を大いに損ねているといえるわけです。

少数の意見を聞き入れようとする古き良き感性が悪い意味で国益を損ねる結果になっていることから少数の意見を聞きすぎると危険であると言わざるを得ません。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

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